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福岡高等裁判所 昭和52年(ラ)65号 決定

抗告人

日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役

エツチ・エツチ・クノツブ

右訴訟代理人弁護士

赤松悌介

外一七名

右抗告人から、福岡地方裁判所昭和四八年(ワ)第三九四号、同第六七九号、同四九年(ワ)第六六七号、同五二年(ワ)第一九九号損害賠償請求事件について、

同裁判所が昭和五二年六月二一日になした文書提出命令申立却下決定に対し、即時抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

原決定を取消し、これを原審に差戻す。

理由

一抗告人の本件抗告の趣旨並びに理由は別紙記載のとおりである。

二そこで、抗告人が本件において提出を求めている本件各文書(原告らに関する診療録)が、民事訴訟法第三一二条三号前段の「挙証者の利益のために作成された」文書に該当するか否かについて検討する。

1  一件記録によると、本件損害賠償請求事件は、「原告(ないしはその被相続人)らは、いずれも、その疾病の治療の過程において、抗告人(被告)らの製造、輸入販売にかかる医薬品であるキノホルム剤を服用したため、いわゆるスモンすなわち亜急性背髄神経症に罹患したものであるが、それは抗告人らが製造、輸入、販売等を開始するに際し、右キノホルム剤の安全性を確認せず、それをしたこと並びに、その後における人体に対する危険の有無についての調査、研究を怠り、人に対する危害を及ぼさないよう相当の措置をとるべき義務があるのに、それをしなかつたことによつて生じたものであるから、右キノホルム剤の製造、輸入、販売等をした抗告人らに対し、その損害の賠償を求める。」というのであるところ、その被告である抗告人は「原告らがキノホルム剤を服用して、スモンに罹患したことはいずれも否認する。」旨主張して、原告らのキノホルム服用並びにそれとスモンとの因果関係を争つているものであることが明らかである。

そして、抗告人が本件において提出を求めている文書は、原告主張のスモン症状発生当時ないしはその後原告らの治療に当つた医師が作成した診療録(カルテ)である。

2  そこで、右診療録が民事訴訟法第三一二条三号前段の文書に該当するかについて考えてみるに、民事訴訟法第三一二条以下の規定により当事者又は第三者が負担する文書提出義務は、申立人に対する私法上の義務ではなく、裁判所に対する公法上の義務であつて、その目的とするところは、証人義務のような一般的義務ではないけれども、民事裁判における真実発見のため役立つ資料は、一定の条件のもとにできるだけ法廷に提出させて、裁判所の判断の資料に供させることにより、裁判による真実発見と裁判の適正化に資せんとするものにある。そして、民事訴訟法第三一二条三号前段にいう「挙証者の利益のため作成された」文書とは、挙証者の権利義務を発生させるために作成されたものや、また後日の証拠とするために作成されたものであつて、挙証者の地位や権利ないしは権限を明らかにする文書をいうのであるが、それは、挙証者のみの利益のために作成されたことに限られるものではなく、挙証者と所持人その他の者の共同の利益のために作成されたものでもよく、また、それが直接挙証者のために作成されたものはもちろん、間接に挙証者の利益を含むものであつてもよいものと解すべきである。

ところで、診療録は、医師が患者を診療した場合に、その病名、主要症状、治療方法(処方すなわち投薬の種類、量及び処置)等をその都度記入して作成したものであるが、医師法第二四条、医師法施行規則二三条は、医師ら対し、医師が診療したときは、診療に関するこれら法定の事項を記載した診療録を作成すること並びにこれを五年間保存することを義務付けているが、その目的とするところは、医師に対し患者の適正な診療を行わせることを目的として、医師にその診療の適正性を診療録の記載によつて証明させ、それによつて医務を行政的に取締つて行くという行政的目的を主目的とするものであることは明らかであるけれども、その目的は単にそれにとどまるものではなく、診療録は保険その他医療費請求の証拠資料となり、診療を受けた患者にとつても、患者自身の社会的権利義務の確定ないし確認、例えば出生、死亡時の確定や、各種の手当、年金等の請求その他の目的に使用される診断書、証明書等の作成に当つて、患者の健康状態を裏付けるに必要な資料となること、更にはそれが刑事裁判において重要な証拠資料となることが多いばかりか、民事の訴訟においても重要な証拠方法となることが多い等、社会的にも重要な役割をもつているので、それらの必要に資するための公益上の見地からも、診療録の作成保存が義務付けられているものと解される。

そして、右の民事訴訟に関していえば、一般的には、先づ当該患者と医師との間の医療過誤等の医療紛争が考えられるが、単にそれのみではなく、当該患者が一方の当事者となつた第三者との間の訴訟(交通事故のような場合)、医師と第三者との間の訴訟、当該医療行為の過程において関与した医師以外の医療関係者の当該医療に関して生じた紛争、当該診療過程において処方、投与された医薬品により生じたいわゆる「薬害訴訟」等も直接的ではないけれども、潜在的なものとして予想されるものであつて、これらも、前記診療録作成の動機、目的である公益の一部に含まれていると解すべきである。

特に、医薬品により生ずる「薬害」は、当該診療行為の過程において処方、投与された医薬品より生じた「害悪」そのものであつて、当該診療行為に直接に関与し、かつ診療行為を介在して生ずるものであり、そして右薬害を対象とする「薬害事件訴訟」は、近時とみに続発して一般化の傾向にあり、それはその性質上常に診療行為に潜在し、単に偶発的なものとはいえなくなつている。したがつて、医療行政上も、診療過程において投薬された薬剤及びその投与量を診療録に明確にさせておくことは常に必要なものとし、これを診療録の必要的記載事項とした(医師法施行規則第二三条三号)ものと解される。

してみると、原告らがその疾病の診療過程において、抗告人らの製造、輸入、販売にかかるキノホルム剤の投与を受けて服用したことにより、いわゆるスモンに罹患したと主張して、抗告人らにその損害賠償を求めている本件訴訟において、原告らに対するキノホルム剤の投与時期、投与量並びにその症状発生状況を、その診療の都度記載して作成されたと推認される本件提出申立にかかる診療録は、単に医師及び患者である原告らの利益のためのみではなく、その記載内容自体、右キノホルム剤の製造、輸入、販売した者であつて、本件加害者とされている抗告人の右スモンとのかかわり合い、すなわち、その法的地位を明らかにするものとして、その目的からして、間接的ではあるけれども極めて密着した抗告人の利益をも含む趣旨のものとして作成されたものということができる。

また、本件においては、キノホルム剤とスモンとの一般的因果関係はともかくとして、原告ら各人との個別的因果関係が強く争われている以上、抗告人が提出を求めている診療録は、原告らの症状発生当時におけるキノホルム剤投与の有無ないしはその量、又はその後の症状の経過等が記載されているものであつて、かつ、その基礎的資料であると考えられるので、挙証者である抗告人が自己の法的立場を立証するための最も重要な証拠となることが推認される。

3  結局、当裁判所は、抗告人が本件において提出を求めている文書は、いずれも民事訴訟法第三一二条三号前段の文書に該当するものと判断する。

三したがつて、本件において抗告人が提出を求めている文書がいずれも民事訴訟法第三一二条前段の文書に該当しないとして、その申立を却下した原決定は失当であるのでこれを取消すこととするが、本件は第三者に対し文書の提出を求める申立があるので、その文書の存在、所持等につき当該第三者の審尋を必要とするところ、原審において全くその審尋がなされていないこと、証拠採否の一般原則に従い、従前からの本件訴訟の経過に照し、本件申立にかかる文書を全部を提出させるかその一部をもつて足りるか等具体的必要性につき、原審において審尋決定させるのが相当と判断するので、民事訴訟法第四一四条、第三八九条一項により、主文のとおり決定する。

(亀川清 原政俊 松尾俊一)

【抗告の趣旨】一、原決定を取消す。

二、相手方らは、別紙目録(二)記載の文書をそれぞれ提出せよ。

との裁判を求める。

【抗告の理由】一、原決定は、「医師法二四条が医師に対して診療録の作成を命じている趣旨としては、医師をして患者のために適正な診療を行なわせしめるための手段の一つとして、医師にその行為の適正性を証明させるために作成させ、行政的に取締りをなしていくことに主たる目的があることはもちろんであるが、同時に診療を受けた患者自身の社会的権利義務を確定ないし確認すること、更には訴訟における重要な証拠方法となることが、その役割として予定されていると考えられる。そして右にいうところの訴訟とは、一般には当該患者と医師との間の医事紛争に関するものが予想されているといえるが、必ずしもそれのみに限られない」ということを認めながら、右医師法が証拠方法としての役割を予定したのは「せいぜい当該患者又は医師のいずれかが訴訟の当事者となり、自己の主張を裏づけるために右診療録をその立証活動の用に供するといった場面まで」であるとの後退的な判断をなし、「右診療に直接関連のない第三者がこれをその立証活動に利用するといったことは、全く予測の外にあるというべきである」としている。

しかし、この原決定の結論は、以下に述べるように、立法者の「予測」ないし「予想」範囲についての認識を誤ったものであり、また、診療録作成・保存義務が公益上の必要に基づくことを軽視したものといわざるを得ない。

二、まず、立法者の「予測」ないし「予想」範囲であるが、申立書で引用したように、既に昭和五年当時、池松「医師法制論」一八八頁は、診療録(当時の用語では「診療簿」)の作成・保存の社会的重要性を説き、診療録が刑事事件及び民事事件において証拠としての利用価値を発揮する場面は、「一々枚挙の逞がない」と述べている。そこでは医師及び患者の個人的関係において「診療行為が正当に行われたか否かを定むる証拠と為すが如き」は枚挙にいとまない証拠利用例の一つに過ぎないと考えられ、医師及び患者の個人的関係外で、例えば「医療金請求」(病院がその雇傭する医師の診療行為につき、国民健康保険法により保険者市町村に医療金を請求する場合等)や「保険契約」(保険会社が被保険者の契約当時の健康状態を争った場合)等の訴訟において、診療録が証拠として利用されることが予想されている。かように広汎な場面における証拠利用が考えられるからこそ、「医師の診療簿は社会的に重要な関係を有する」とされ、診療録作成・保存義務は「公益上の必要」に基くものであるとされているのである。このような見方には格別の異論があろう筈はなく、立法者が昭和二三年現行医師法を制定するに当って、右の「医師法制論」に代表されるような旧法以来の思考を無視したとは考え難い。

ただ、本件で問題とされているいわゆる製造業者責任なる法概念は旧法ないし現行医師法の制定当時には日本に存在しなかったし、患者が医師の投薬した薬剤の製造販売者を直接訴えるというようなこともなかったから、その当時、立法者が本件におけるような製薬企業による診療録の証拠利用を現に予想し、あるいは当然に予定していたとまでは言えないかもしれない。しかし、厳格な解釈が要求される刑法においてすら「電気」が「財物」に当ると解釈された(現行刑法二四五条がなかったとき)ことからも明らかなように制定当時存在しなかつた事象はすべて立法者の予測せざるところと解することが正しい法解釈と言えないこと勿論である。

例えば、旧法ないし現行医師法の制定当時としては、今日の如き交通事故に関する訴訟は現実の予想範囲には入っていなかったであろう。しかし、当時の立法者が前掲池松の例示にあるように、診療に直接関連のない第三者たる病院、市町村、保険会社等による証拠利用場面を予想していたとみられる以上、交通事故の加害者(被告)が、被害者(原告)の後遺症の有無及び程度に関し、被害者の治療に当った医師の診療録の提出を求めるという場面も立法者予想範囲内にあると解することは十分可能であり、これを以って不当な拡張解釈というべきではないであろう(新堂他編「考える民事訴訟法」二〇二頁参照)。

このように考えてくれば、今日、交通事故訴訟に劣らず増加してきたいわゆる「薬害訴訟」において加害者とされる製薬会社(被告)が被害者(原告)の症状に関して、診療録をその立証活動の用に供するという場面も、右医師法二四条の予想範囲内であると解することは、少しも無理な法解釈ではないことが明らかになるのである。

加之、いわゆる「薬害訴訟」は、右に例示した保険金請求訴訟や交通事故訴訟と異なり、医師の患者に対する薬剤処方、投与という診療行為それ自体を重要な争点とする訴訟であり、その診療において医師に自己の製品を処方された製薬会社は、原決定にいわゆる「診療に直接関連のない第三者」にとどまるとはいい切れない立場にある。そして、医師法施行規則二三条は診療録の記載事項の一つとして医師の処方(即ち、投与した薬剤名)を明記すべきものとしているから、原決定が、製薬会社による診療録の証拠利用は、医師法の全く予測せざるところ――診療録作成の動機目的としては予定されていない――と速断したことは、法の解釈者として十分に「考える」ことをしなかったものとのそしりを免れない。

三、次に、原決定は、診療録の直接の当事者である医師と患者は診療録の証拠利用について直接的な利益を有しているが、診療に直接関連のない第三者は診療録の証拠利用について「せいぜい反射的(間接的)利益」しか有していないと解している。医師に自己の製剤を処方された(と主張されている)製薬会社が、「診療に直接関係のない第三者」であるに止まるという見方自体、既に問題であることは右にみたとおりであるが、その点を措くとしても、医師及び患者とそれ以外の第三者との間に、診療録の証拠利用上の利益に関する質的差異を認めようとする原決定の立場は、診療録作成・保存義務が、「公益上の必要」に基づいて課せられたものであることを忘れた見解であるといわざるを得ない。

申立書において詳しく論じたように、例えば、診療録を作成した医師にとつても、当該診療録の訴訟における証拠としての利用価値は訴訟提起後の単なる反射的・偶発的利益であり、また、そうでなければならない筋合のものである。けだし、診療録は、医師が、将来予想される医療過誤の紛争において自己を防衛できるよう目的的に作成するというものではないからである。もし、そのような動機、目的で診療録が作成されるとするならば、裁判上、真実発見に寄与すべき証拠としての価値は著しく毀損されるに至るであろう。「将来の訴訟における証拠確保の利益という観点」から医師の利益を基礎づけようとする限り、その利益は作成時にあつては全く潜在的、仮定的なものに過ぎず、決して直接的な利益ではあり得ないのである。

ここで、診療録作成者自身の作成の動機、目的と診療録の作成・保存を義務づけた立法者の立法の動機、目的とを明確に区別する必要があろう。いま問題としているのはあくまで立法者の目的であり、ここに「将来の訴訟における証拠確保の利益」というのは既に繰り返して指摘したように、裁判における真実発見という「公益」なのである。同じく訴訟の当事者となりながら、患者または医師のいずれかは自己の主張を裏づけるために診療録をその立証活動の用に供することができるが、他の当事者が真実発見のためにこれを証拠として用いることは許されないとするのは、著しく公平を欠き、公益の目的に反する見解といわなければならない。

なお、通説は民訴法三一二条三号前段にいう利益は、必らずしも直接的利益である必要はなく、間接的に挙証者の利益のために作成された文書といえればよいし(菊井・村松「民事訴訟法」Ⅱ、三七八―三七九頁)、また、その目的は挙証者のみの利益を目指したものである必要はなく、挙証者の利益もその作成目的の中に包含されていたといえれば足りるとしているが(斉藤編著「注釈民事訴訟法」(5)二〇一頁)、これは右のような「公益」的な利益ないし原決定にいわゆる「反射的(間接的)利益」もこれに含ませる趣旨と解される。行政訴訟における原告適格の基礎としての訴えの「利益」(行政訴訟法第九条)の観念が弾力的に解釈、運用され、かつて「単なる反射的利益」に過ぎないとされていた事実上の利益も、今日では右の要件を充足すると解されるようになつてきているように、訴訟法の解釈は、常に適正な裁判という目的的見地から弾力的になされねばならないのである(この点で、原決定が、「勿論かような利益のすべてが何時までも反射的(間接的)利益に止まる訳ではなく、かような紛争の生起に伴う第三者の利益の保護もまた診療録作成の動機、目的であるとの意識が一般的に確立されたと評価されるに至つた暁には、かような反射的(間接的)利益は民訴法三一二条三号前段の「利益」へと昇華することもあるであろう」と述べているのは高く評価さるべきである。勿論、既にそのような意識ないし評価は一般的に確立されていると解すべき点を除けばであるが)。

ただ、このように稀釈された利益が、それだけで直ちに民訴法三一二条三号前段を充足させると解することに裁判所が躊躇するということは理解できないではない。そこで、一層のしぼりをかけるべく考え出されたのが、実は「その文書により挙証考の地位、権利、権限が直接明らかにされるもの」という要件なのであり、申立書でも指摘したように、最近の判例は文書作成時の動機、目的に言及することなく、右の要件のみによつて民訴法三一二条三号前段該当性の有無を判断しているのである(例えば、大阪高裁昭和四〇年九月二八日決定、判例時報四三四号四一頁、広島地裁昭和四三年四月六日決定、訟務月報一四巻六号六二〇頁)。

而して本件提出命令申請にかかる診療録、それを見れば、当該患者(原告)らの症状がスモンであるか否か、被告会社の製品たるキノホルモ剤の投与を受けたか否か、右の投与と神経症状発現ないし悪化との間に関連性が認められるかどうか、合併症ないし既往症の有無とその症度に及ぼす影響の程度等々、本件スモン訴訟の個別論における中心的な争点が直ちに解明され確認される性質の文書であり、右の各争点は、そのまゝ被告会社の原告らに対する損害賠償責任の有無及び程度の判定につながる重要事項であるから、これらの診療録は優に、「その文書により挙証者の地位、権利、権限が直接明らかにされるもの」に当る――従つて民訴法三一二条三号前段に該当する――といい得ること、申立書において詳しく論じたとおりである。

四、ところで、原審の「診療に直接関連のない第三者がこれ(診療録)をその立証活動に利用するといつたことは、全く予測の外にある」との判断が、「製薬企業と患者との間のいわゆる薬品公害に関する紛争は少なくとも現段階においては全く偶発的」である――従つて、「かかる場面における証拠確保の利益は……診療録作成の動機目的として予定されたものと認め難」い――という現状認識に裏打ちされていることは明らかである。

しかし、そもそも「診療に直接関連のない第三者」たる企業が、一定の疾患ないし死傷害に関し、加害者として紛争の当事者となり、その人体の被害の存否及び程度につき診療録を証拠として利用することの重要性が認識されるようになつたのは何も最近のことではない。明治以来短期間に近代化を遂げた日本経済の裏面に数多くの労災事件と公害事件(例えば足尾銅山の鉱害事件)の歴史があることは周知のとおりである。そして医師法が医師に対して診療録の作成・保存を命じた趣旨の一つは、原決定も認めるように、「診療を受けた患者自身の社会的権利義務を確定ないし確認すること」にあり、それ故に「医師の診療簿は社会的に重要な関係を有する」(前出池松)とされてきたのであるが、旧法ないし現行医師法の制定者が、右にいう社会的権利義務ないし社会的な関係の中に、日本経済の発展過程においてかように多発し、一般化した労災事件及び公害事件の事実及び法律関係(加害者・被害考関係)を全く予想していなかつたと断ずべき根拠は見当らない。この意味で、原決定が、診療録と直接関連のない第三者たる企業と患者との間の秒争は「全く偶発的」なもので、かかる場面における証拠確保の利益は診療録作成保存を命じた立法の目的としては全く予想されていなかつたと解しているのはいわゆる「立法事実」を構成する社会的背景の認識を誤まつたものと評せざるを得ないのである。

尤も、本件のように、薬品の副作用による人体の被害を主張して製薬企業を訴えるという訴訟は確かに労災事件や公害事件のようには古くないといえよう。しかし、薬品の副作用自体はいつの時代にも存在し、認識されていたことであるに留まらず、薬剤投与は医療行為そのもの、或いは少くとも通常これに随伴するものであるから、その副作用は或る意味では、労災や公害よりももつと直接的に診療録の予想する所であつたとも云いうるであろう。このことは、医師法施行規則二三条が医師の処方(即ち投与した薬剤及び投与量)を明記すべきものとしている点からも推定に難くないところである。そして昭和三〇年代、本件スモン問題に先立ち社会的に大きな関心を集めたサリドマイド事件以来、ストレプトマイシン、コラルジル、クロロキン等、薬品の副作用による被害として、患者が直接製薬企業を訴えるいわゆる薬害事件訴訟は、今日、労災事件、公害事件、交通事故等の訴訟とともに、既に一般化しており、偶発的な事象とは到底いえない段階に達している。他方、薬品の副作用に関する紛争においては、労災事件や公害事件の場合と異なり、加害者とされる製薬企業の作為、不作為と人体の被害との間に前述のような医師の治療行為が介在し、その治療行為(薬剤の処方)自体の存否ないし適否が重大な争点となるものである。主張された副作用疾患の存否、程度のみならず当該製薬会社の生産販売にかかる薬剤の処方が行われたか否か、その処方と疾患発生との間に関連性が認められるかどうかが、それを見れば容易に判定ないし確認される診療録が、この種の訴訟において重要不可欠の証拠となることは誰の目にも明らかなことであるといわなければならない。

このように、薬品の副作用を主張して製薬企業を訴える訴訟が一般化し、且つ、その訴訟においては、当該薬品の処方の有無を記載した診療録の証拠としての重要不可欠性が誰の目にも明らかになつている今日、「製薬企業と患者との間のいわゆる薬品公害に関する紛争は少くとも現段階においては全く偶発的であり、かかる場面における証拠確保の利益は診療行為の介在という事実があつても、診療録作成の動機目的として予定されたものとは認め難」いとし、「本件の如き紛争における製薬企業の診療録利用の利益はいまだ法的利益へと昇華してはいない」とした原決定は、現代社会における諸紛争の型態と診療録作成・保存の社会的重要性に関する現状認識を誤まり、ひいて医師法二四条及び民訴法三一二条三号前段の解釈を誤まつたものというべく、この点において取消しを免れないものである。

五、医事紛争もしくは医学的解明を必要とする紛争が、かくも頻発する現代において、もし被害者の診療録が加害者の疑を必死にはねのけようとする企業にとつて何等の「利益」をも構成しないものであるとすれば、「およそ争点の解明に役立つ資料は全部法廷に提出」するという理想実現の一方法として民訴法三一二条が設けられた法意(東京高裁昭和五〇年八月七日決定、判例時報七九六号五八頁)は全く没却される結果になるであろうことを本件では特に付言しておきたい。

既に原審での文書提出命令申立理由書(昭和五二年六月八日付)で述べた所ではあるが、自らスモンの被告を主張し、しかもその被害がキノホルムという薬剤の投与によるものであることを強く訴える者が、そのスモン症状とキノホルム剤投与の両者を記載した診療録の提出を拒むことの不当は、何度繰返しても言いつくせぬであろう。

スモン訴訟は、スモンとキノホルムとの因果関係というすぐれて医学的な命題が紛争の中心でありながら、原告らがその認定に不可欠な診療録その他の医学資料の提出を拒否し、またはその顕出を阻止せんとして全国的に一致した動きをみせている点において極めて特異な性格を持つている。

「疑わしきは罰する」とは、被害者の立証責任を緩和乃至転換し、加害者企業側に殆んど不可能なまでの反証を強いようとしている現今の所謂集団訴訟の傾向を巧みに表現した言葉であるが、キノホルム剤に因るスモン発症の疑をかけられ乍ら、その認定に不可欠な診療録の検討を拒否されたまゝ、企業の責任が断ぜられようとしているスモン訴訟の現状は、正に「疑わしきは罰する」を地で行くものと云う外ないであろう。

福岡スモン訴訟において診療録の任意提出が最早全く望みのない事は、先の送附嘱託決定に対する原告側の一致した拒否反応を見ても明らかである。

疑をかけられた被告企業にとつて、その疑を晴らし得る資料についてこそ文書提出命令は発動さるべきであり、もしそのような資料が企業にとつての何等の「利益」をも構成しないものと解釈されるならば、それは単に医師法二四条及び民訴法三一二条の法意の誤解であるに留らず、およそ法の正義を失わせるに至るものであることを、ここに強く訴えたい。

《参考・原決定》

(福岡地裁昭和五二年(モ)第九八八号、文書提出命令申立事件、同五二年六月二一日第二民事部決定)

申立人(被告)

日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役

エツチ・エツチ・クノツプ

右訴訟代理人弁護士

赤松悌介

相手方の表示〈略〉

申立人と越智義信外との間の昭和四八年(ワ)第三九四号、同年(ワ)第六七九号、昭和四九年(ワ)第六六七号、昭和五二年(ワ)第一九九号損害賠償請求事件について、

申立人から文書提出命令の申立てがあつたので、当裁判所は、つぎのとおり決定する。

申立人側訴訟代理人

赤松悌介外

【主文】本件申立てをいずれも却下する。

【理由】第一 申立ての趣旨及び理由〈略〉

第二 原告らの反論〈略〉

第三 当裁判所の判断

一、民訴法三一二条三号前段にいう「挙証者ノ利益ノタメニ作成」された文書とは、後日の証拠のために、または権利義務を発生させるために作成されたものであつて、挙証者の地位、権限または権利を示す文書をいうものと解すべきであり、従つて提出を求められている文書が右文書に該当するか否かを判断するに際しては、当該文書が作成された動機、目的が重視されるべきである。

ところで、医師法二四条が医師に対して診療録の作成を命じている趣旨としては、医師をして患者のために適正な診療を行なわしめるための手段の一つとして、医師にその行為の適正性を証明させるために作成させ、行政的に取締りをなしていくことに主たる目的があることはもちろんであるが、同時に診療を受けた患者自身の社会的権利義務を確定ないし確認すること、更には訴訟における重要な証拠方法となることが、その役割として予定されていると考えられる。そして右にいうところの訴訟とは、一般には当該患者と医師との間の医事紛争に関するものが予想されているといえるが、必ずしもそれのみに限られないとしても、せいぜい当該患者又は医師のいずれかが訴訟の当事者となり、自己の主張を裏づけるために右診療録をその立証活動の用に供するといつた場面までであり、患者と第三者もしくは医師と第三者との間の訴訟において、右診療に直接関連のない第三者がこれをその立証活動に利用するといつたことは、全く予測の外にあるというべきである。

被告チバは、将来の訴訟における証拠確保の利益という観点からすれば、患者と医師との間の訴訟における利益も、製薬企業と患者との間の訴訟における利益も、いずれも診療録作成時にあつては潜在的、仮定的なものにすぎず、反射的、結果的利益として差異のないものであるから、両者を別異に論じ得ない旨主張する。しかしながら、診療の直接の当事者である医師と患者との間の医療過誤に関する紛争は、将来起こるか否かは不確定であるという意味では潜在的であつても、何時でもその顕在化が予測されるのであつて、診療録作成の動機、目的において当然予想されている典型的紛争であるのに対し、製薬企業と患者との間のいわゆる薬品公害に関する紛争は少くとも現段階において全く偶発的であり、かかる場面における証拠確保の利益は診療行為の介在という事実があつても、診療録作成の動機目的として予定されたものとは認め難く、民訴法三一二条三号前段にいう利益として法的に熟したものとは評価し難い。仮にこれが利益といいうるにしても、それはせいぜい反射的(間接的)利益に止まるというべきである。したがつて、被告チバの前記主張には傾聴に値いする面もあるが、いまだこれに左袒できない。

勿論かような利益のすべてが何時までも反射的(間接的)利益に止まる訳ではなく、かような紛争の生起に伴う第三者の利益の保護もまた診療録作成の動機、目的であるとの意識が一般的に確立されたと評価されるに至つた暁には、かような反射的(間接的)利益は民訴法三一二条三号前段の「利益」へと昇華することもあるであろうが、本件の如き紛争における製薬企業の診療録利用の利益はいまだ法的利益へと昇華してはいないものと評価される。

二、以上によれば、本件提出命令を申立てられている各文書は民訴法三一二条三号前段の文書に該当せず、その余の点について検討を加えるまでもなく、相手方らにはそれらの文書の提出義務が存しない。

よつて本件提出命令申立てはこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

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